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『生活構造の日韓比較』
『生活構造の日韓比較』
- 経済企画庁国民生活局、財団法人家計経済研究所編
- 大蔵省印刷局
- 1996年8月発行
- A4判98頁 定価971円(税別) 在庫なし
近年、高い経済発展を遂げ、我が国と一層の交流が深まりつつあるも、今なお「近くて遠い」の観がある大韓民国の国民生活の現状と変遷を、家計・雇用・賃金などを中心に、日本のデータと比較しながら検討した調査研究報告書。
本書および本プロジェクトについてのお問い合わせは、財団法人 家計経済研究所(電話03-3221-7291、FAX: 03-3221-7255、e-mail: info@kakeiken.or.jp)までご連絡ください。
『生活構造の日韓比較』 要約
要約では本報告書の主要な部分となっている1、2、4、5章を扱い、3章は4、5章の分析方法、日韓両国の統計上の定義の違いなど、きわめてテクニカルなことを検討しているので省略する。
- 第1章 社会経済的指標
韓国の1960年代半ば以降約30年間の、実質経済成長率はかなりの高低があるが、1980年にマイナス成長を記録した以外は、5%以上の成長を記録し、平均成長率も10%に近い。これほどの継続的な成長を記録した事例は稀であり、1950年代から73年の石油ショックまでの約20年間にわたった日本の高度成長期をはるかに超える成長の持続であった。
経済開発期の初期には投資は海外からの資金に大きく依存していたが、80年代後半には貯蓄が投資を上回り、95年にはその海外投資残高が100億ドルに達した。膨大な投資の結果、輸出構造は高度化し、現在では輸出の大宗は半導体を含む電子製品、自動車、造船、鉄鋼などになった。
輸出の構造変化は当然、国内産業構造の変化を反映する。就業者の構成比をみれば、50年代中盤の日本は70年代後半の韓国に相当する。また、94年の韓国は第二次産業の定義を調整すれば、日本の75年とほぼ照応する。
社会経済変化の基礎をなす人口をみると、韓国では1970年にはおよそ3,200万人であったが、95年にはおよそ4,500万人に増加した。年率 1.4%の人口増加は「少産少子」の状態に移行する直前のステージにあると考えられる。60年にはピラミッド型であった人口構造は、20歳から39歳が太い樽型へと移行した。
このような人口構造の変化は、韓国における都市人口の増加とも関連している。韓国では第一次産業従業者の比率が劇的に減少し、都市人口が急増した。異常なほどの都市への人口集中問題を抱えている韓国は、先進国型の工業化過程というよりは、比較的緩やかな形ではあるが、途上国型の工業化過程をたどったといえる。
経済構造の変化の中で、韓国の学歴水準は急速に向上している。1995年には義務教育である6年制の国民学校(今年から初等学校に改称)から中学への進学率は99.9%に達し、中学卒業者の98.5%が高校に入学している。つまり近年では、高校卒が国民の学歴の最低水準となり、95年には大学(2年制・4年制)への進学者はついに50%を超えた。最近の進学率は日本を超えるレベルにまで達している。このような学歴構造の変化は当然、雇用や賃金構造に大きなインパクトを与えるに違いないが、それは第2章の課題である。
次に直接の分析対象となる1976年から1994年の趨勢を整理する。
1976年時点での日本と韓国の経済的格差は、一人当たりGNPでは5.9倍、消費購買力平価でみた1人あたり消費支出では2.9倍の格差があった。76年以降の日本は、低成長基調の時期であったが、高齢化が進み、女子の社会進出も進展した。
他方、韓国は変動はあるものの全体として二桁成長の趨勢は変わらず(76-94の年平均成長率は9.9%)、高成長を遂げていた。また課題であったインフレが1桁台に収束し、金融システムなどの様々な制度改革や、日本と同様に女子の社会進出などの変化が進み、着実に先進国へ向かっていた時期であった。
1994年の日本は86年から91年にかけてのバブル好況が終焉を迎えて、長期的な不況に陥っている。他方、1994年の韓国は80年代半ばからいわゆる「三低」好況期(ドル安、国際金利安、原油価格安)がひとまず終了し、新たな安定成長期に入っている。日韓の経済力は一人当たりGNP比で4.3倍、消費購買力平価でみた1人あたり消費支出は1.66倍と、ともに縮小しており、76年時点のような先進国とNICs(現在ではNIEs)という図式ではもはや捉えられない関係にある。今日の韓国は経済的には着実に日本に近づきつつあり、特に教育面では日本以上に力を入れているといえるが、その反面、社会保障面や情報化面ではまだ格差があり、いっそうの経済的成長とともに、これらの面での整備・充実が望まれている。
- 第2章 雇用・賃金構造
韓国は1960年代の中盤から急速な経済成長を経験してきた。経済成長は急速な経済活動人口の増加を吸収し、雇用構造に大きな変化をもたらした。高度成長によって60年代から70年代の失業率は急速に低下し、それ以降も着実に低下した。同時にこの経済成長には入職率・離職率(仕事を始めた者の比率を入職率、仕事を辞めた者の比率を離職率)の高さをも伴っていた。昇進速度が早いことも特質であったが、徐々にその速度は遅延してきているようである。
韓国の平均労働時間は80年代半ばまでは世界で最も長いグループに属していたが、80年代後半の「民主化」期に減少を始め、86年にピークを記録したあと、数年間でおよそ週あたり5時間の時短に成功した。平均して勤労時間の最も短い金融保険業においては、90年代に入ってむしろ労働時間が増加し、全体として労働時間は産業間の格差が減少する傾向にある。
今日の韓国の賃金構造の格差は、男女別、職種別、学歴別、年齢別、経験年数別のいずれをみても減少しつつある。しかし、例外的に格差が拡大しているのは企業規模別の賃金である。依然の韓国の賃金の一つの特徴は規模間での賃金格差が非常に小さいことであった。80年には格差はほとんどなかったが、87年からその差は開き始めた。つまり、「民主化」過程におけるストライキ等の労働紛争の果実は規模の大きな企業の労働者達がより多く享受したことになる。福利厚生などのフレンジ・ベネフィットを考えれば、その差は数字以上に大きいはずである。
韓国の労働移動は激しく、また労働移動の方向が規模の違いを超えるものであったから、たとえ小企業であったとしても大規模企業との間に大きな賃金格差を設けることができなかった。その意味で労働市場は単一であった、ということができる。しかし、「民主化」以降、労働市場は構造的に変化してきたようにみられる。それを示すものが、先にみた労働移動率の低下であり、規模別賃金の乖離の拡大である。
- 第4章 1994年日韓家計構造比較
近年の韓国の家計構造は日本と比較すると、次のような特徴が見出せる。
第一に、収入構造で大きく異なる点は、「世帯主収入」の収入構成比率である。日本は「世帯主収入」が8割を超えているのに対し、韓国では6~7割にとどまる。その一因は、「他の世帯員の収入」と「事業・内職収入」にあるが、最も特徴的なのは、「他の経常収入」と「特別収入」の構成比率が高い点にある。これらは収入5分位、年齢階級でも一貫しており、それゆえに日本は〈勤め先収入単一型〉、韓国は〈収入多元型〉と整理できる。
第二に、支出費目で韓国の支出構成比率が高いのは「食料」と「教育」、他方その比率が低いのは「住居」、「教養娯楽」と「その他の消費支出」である。特に韓国は「外食」と「教育」と「自動車等関係」の構成比率が高い。但し、年齢階級別にみると、若年では日本の「住居」、中年では韓国の「教育」、全体では日本の「教養娯楽」、韓国の「外食」の構成比率が高い。
第三に、日韓の社会保障給付と支出の構成比率が大きく異なる。社会保障純負担率でみても日本の方が大きい。また「保健医療」を合わせても同様である。しかしこの負担率を厳密に考えるには、様々な文化的・制度的要因も考慮する必要がある。
第四に、両国の家計の黒字構造で大きく異なる点は、韓国の黒字率の収入階級格差が大きいことである。韓国の場合、89年と比較してもその差は拡大している。これは収入階級間での〈ゆとり格差〉の拡大傾向を示している。
第五に、余暇生活関連費用全体では、構成比率の差はない。項目別の構成比率の差は、韓国が日本と類似した生活構造へ変化している中での時間的遅れを示している場合と既に質的に異なった生活構造を示している場合という2側面が考えられるが、どちらの要因であるかを理解するには、もう少し時間が必要である。
以上のような構造的特徴が見出せるが、さらに韓国家計の全体的な構造的特徴として、家計収支構造では収入階級間格差が是正されつつあるものの、家計貯蓄では収入階級間格差が拡大している点をあげておく。
- 第5章 日韓家計時系列比較(1976~1994)
1976年から1994年の間の、具体的には76年、80年、85年、89年、91年、94年の6つの時点の日本と韓国の家計収支構造の長期的趨勢を2つの視点から検討した。1つはそれぞれの国について家計収支項目のウェイトの変化の分岐点を軸とした分岐パターン(「76年型」、「80年型」、「85年型」、「89年型」、「91年型」、「一貫型」)、2つめは日韓の家計構造構成比率の差の変化を軸とした関係パターン(「拡大型」、「逆転型」、「縮小型」、「不変型」)である。その結果明らかになったことは主に以下の3点である。
第一に、両国の実収入に占める各分類の収入の構成比、実支出あるいは消費支出に占める各費目の構成比の変化パターンについては、韓国ではそれぞれについて変化がみられ、分岐パターンでは「85年型」が多かった。長期的趨勢をみればソウルオリンピックの影響はオリンピックの前からの社会的変化を促し、家計収支構造においても大きな分岐点は85年であるということができる。他方、日本では変化がみられないもの、一貫した緩やかな変化傾向にあるものが多かった。
第二に、収入・支出構造構成比に関して、当該期間中、日本と韓国の差は縮小したのか、拡大したのか、あるいは変わらないのかといったように、両国の構成比率差の関係の変化に注目すると、4パターンの中で特定のパターンに諸項目が偏っていることはなかった。
第三に、「縮小型」、「不変型」には「85年型」以外のパターンの項目が多く、「拡大型」には「85年型」あるいは「85年型」との複合型以外のパターンはほとんどなく、「逆転型」においても半数以上が「85年型」である。具体的には一貫して日韓の差異がある「教育」、「財産収入」や、ソウルオリンピック前後の急激な変化によって日韓の差異が生まれた「他の世帯員の勤め先収入」、「特別収入」、「外食」、「自動車関係費」等が目立っている。
つまり、76年以降の長期的分析では韓国家計の一貫した変化と85年以降に生じた急激な変化が確認された。85年以降の変化は、韓国の社会経済システムにみられる80年代後半の諸改革によってもたらされたものである。また、日本との比較からみた韓国家計の特徴は、85年から89年にかけての、つまり、ソウルオリンピックを起因とした急激な変化によってもたらされた、あるいは強化されたものが多かった。